
第1回、第2回の連載では、世界的な開発者コミュニティを持つ「Raspberry Pi(通称:ラズパイ)」が、もはや単なるホビー用途にとどまらず、産業用エッジデバイスとして無限の可能性を秘めていること、そして産業活用の幅が広がる中で、ラズパイ活用企業が直面している課題とその解決策を紹介してきました。
最終回となる今回は、昨今注目を集める「フィジカルAI」という潮流の中で、Ideinがラズパイと共に描く未来の産業像と、それを裏側で支える技術とソリューションについてお話しします。

目次
1. 「フィジカルAI」はロボットだけではない──すべては現場の“可視化”から始まる2. 「フィジカルAI」実装のカギは“セキュアな分散型システム”
3. 現場の「デジタルツイン」を構築し、サプライチェーンを再定義する
「フィジカルAI」はロボットだけではない──すべては現場の“可視化”から始まる
「フィジカルAI」という言葉を聞くと、自律的に動くロボットやアームが複雑な作業をこなす姿を想像するかもしれません。しかし、Ideinが考えるフィジカルAIの本質は、「AIによって現場を正しく理解し、制御し、継続的に改善可能な構造」そのものです。そして、フィジカルAIの社会実装における最初の一歩は、現場の徹底的な「可視化」にあります。
AIが物理世界に働きかける(Actuation)ためには、その前提として物理世界の状況を正確かつリアルタイムに把握する(Sensing/Perception)ことが不可欠です。
従来のIoT(Internet of Things)の文脈でも「見える化」は語られてきましたが、フィジカルAI時代における可視化は、その精度とリアルタイム性において次元が異なります。AIが物理的なアクションを起こすためには、コンマ数秒の遅延も許されない判断速度と、曖昧さを排除した構造化データが必要となるからです。ここで重要になるのが、サイバーフィジカルシステム(CPS)としてのデータの流れです。現場のアナログな事象──人の動き、機械の振動、温度変化、メーターの数値──をデジタルデータに変換し、サイバー空間上に現場の「デジタルツイン(双子)」を再現。AIはこのデジタルツイン上でシミュレーションや判断を行い、その結果を物理世界へフィードバックします。このループを高速かつ高信頼で回すことこそが、フィジカルAIの本質です。
しかし、現場のすべてをクラウドに送信して処理することは、帯域幅のコストやレイテンシ(通信遅延)、さらにはプライバシーの観点から現実的ではありません。だからこそ、現場(エッジ)での処理が必要不可欠となります。汎用的なインターフェースを持つラズパイは、カメラやマイク、各種センサーと柔軟に接続でき、マルチモーダルなデータを収集するのに最適なハードウェアです。そして、そこで得られた膨大な生データを、AIモデルを用いて現場で即座に「意味のある情報(メタデータ)」へと変換する──これによって初めて、クラウドへ送るデータ量を劇的に圧縮しつつ、リアルタイムな状況把握が可能になります。
「フィジカルAI」実装のカギは“セキュアな分散型システム”
フィジカルAIが真価を発揮するためには、現実世界のあらゆる場所で、リアルタイムに状況を把握し、判断を下す能力が不可欠です。それは、一台のコンピュータに搭載された高性能なAIがすべてを解決する世界観ではなく、社会の隅々に小型で安価なデバイスが浸透し、それぞれが自律的に、そして協調しながら知性を持つ世界です。しかし、この構想には大きな壁が立ちはだかります。数千、数万という膨大な数のデバイスを、遠隔から安定して稼働させ、アップデートし、管理し続けることは、想像を絶する困難を伴います。現実世界の多様な環境下でコンピュータを安定して動かすことの困難さ、複雑な分散システムでのセキュリティの担保、遠隔でのソフトウェア更新の難しさ、遠隔での障害把握と原因切り分け──これらは、理想の実現を阻む現実的な課題です。
「Actcast」は、この課題を解決するために生まれました。「エッジデバイスの覇者になる」とIdeinが考えているラズパイをセキュアかつ安定的に遠隔で運用・制御する──そのための高度な基盤を提供するサービスです。Ideinが磨きあげてきたこの分散デバイス運用の技術こそ、フィジカルAIを単なるコンセプトから、実用的なソリューションへと昇華させるために必要となるものです。これは、全てのデータをクラウドに集約して処理するという中央集権的なAI観とは明確に異なります。データが生まれる「現場」で情報を処理し、必要なものだけを連携させる分散型のアーキテクチャ。この思想が、低コスト、低消費電力、そしてプライバシーへの配慮といった、社会実装に不可欠な要件を満たすことを可能にしました。
Ideinが目指すのは、単にカメラ映像を録画したり音声を収録する監視システムではありません。画像認識や音声解析の技術を駆使し、「今、現場で何が起きているか」を構造化データとしてリアルタイムに抽出し続ける、インテリジェントなセンサーネットワークの構築です。「作業員が危険エリアに入った」「ライン上の製品に異常音が発生した」といった事象を即座に検知し、可視化できて初めて、その後の「ラインを停止する」「アラートを出す」「ロボットアームの軌道を修正する」といった物理的な介入(制御)が可能になります。
正確な「入力(可視化)」なしに、適切な「出力(制御)」はありえません。Actcastを用いて、現場の無数のデバイスに最新の認識アルゴリズムをデプロイし、常に現場の解像度を高め続けること。これこそが、フィジカルAIが安全かつ確実に物理世界へ介入するための土台となるのです。
つまり、Ideinは単にAI技術を開発している企業ではありません。「Actcast」という基盤を通じて、未来の社会におけるデジタルインフラそのものを設計し、支える企業なのです。私たちの挑戦は、社会全体をより賢く、より持続可能なシステムへと進化させるための、新たな神経網を構築することにあります。
現場の「デジタルツイン」を構築し、サプライチェーンを再定義する
世界に目を向けると、米国の経済政策や関税政策の影響によって、製造業や物流業を取り巻く環境は激変しており、製造業を中心にサプライチェーンの世界的な再構築が本格化していくことが予想されます。一時的に既存のサプライチェーンが不安定になっていることで経済は不安感に包まれていますが、一方で、この「サプライチェーンの見直し」というタイミングは、企業のDX投資が一気に進む機会になるのではないかとも考えています。
特に、レガシー産業の大手企業は、スタートアップとのオープンイノベーションによるDXの推進が不可欠になるでしょう。この変革期において、Actcastとラズパイを用いたIdeinのアプローチは、「現場を正しく理解し、制御し、継続的に改善可能な構造」を実現し、企業の競争力を左右する「現場のOS」となり得ると確信しています。
これから先の未来におけるサプライチェーンは、デジタルプラットフォームの上に成り立つものであり、様々なシーンでAIが活躍する環境の構築が不可欠です。私たちIdeinはこれからも、単なるAIベンダーではなく、未来の社会インフラを支えるプラットフォーマーとして、あらゆる現場の革新を支援していきます。
前回までの記事:
第1回:「ラズパイはなぜ“エッジデバイスの覇者”になるのか?──生成AI時代の現場を変える最適解」
第2回:「ラズパイに“運用”が欠かせない理由──組み込み型IoTからの脱却でスマートなIoTへ」
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